2010年12月02日

「零細出版人の遠吠え」から(43)=田悟恒雄

列島を揺るがす南海の荒波

 小人カン居して…
 「尖閣ビデオ流出事件」で、神戸の海上保安官がUチューブへの投稿を認めました。
 この事件、もっぱら件の職員の行為が国家公務員法の守秘義務違反に当たるかどうかといった議論が盛んですが、ここではちょっと違った角度から考えてみましょう。
 もしも問題映像の投稿が、もっと早い時点で行なわれていたらどうだったでしょう? 日本では、ひょっとして「中国けしからん!」の声がもっともっと高まっていたかもしれません。高揚するナショナリズムの矛先は、もっぱら中国へと向かったことでしょう。
 ところが、国会議員先生方の「試写会」(?)を経たこのタイミングでの公開は、人々の多くが「情報公開」をこそ求めていたということなのでしょう、批判の矛先を、拙劣な対応に明け暮れる日本政府へと向けさせてしまいました。
 一方、中国では、同じ映像を見ても「日本が中国漁船の進路を妨害した証拠だ」なんて見方も出てくる始末。センゴクさんらが心配された(?)映像公開そのものへの中国政府のリアクションも、拍子抜けするほど大人しいものでした。せっかくのご配慮もすっかり裏目に出、ブーメランとなって返ってきた格好です。
 つまり、この中国漁船衝突事件への対処をめぐり、中国政府は「内なる矛盾と不満」を外へ転嫁・発散させることに成功し、日本政府は「外なる事件」を内に抱え込んでしまった、ということになります。
 イヨッ、さすがは「大人」!!! ならばコチとら、「小人カン居して不善を成す」ってなところか?

 世間様にはご用心!
 おそらく「世論」の反発を恐れたのでしょう、「尖閣ビデオ流出事件」の捜査当局は結局、ビデオを流出させたとされる海上保安官氏を逮捕しないで取り調べを続けることにしました。
 で、まだ取り調べの最中だというのに、「SENGOKU 38」氏は「遠く離れた日本の海で起こっている出来事を見てもらいたかった」とのコメントを発表します。当のセンゴク氏がいきり立つのも無理はない。
 さらに、これに悪乗りする者まで出てくる。「いつぞや政権を投げ出した無責任な政治家」なんていうと、このところ該当者続出なので誰のことやらわからなくなってしまいますが、安倍シンゾーなる人物が、「勇気をふるって告発した保安官」なぞと、まだ取り調べを受けている「38」氏をご自身のメルマガで激励する始末。「無責任の上塗り」というべきか、よほどの「強シンゾー」というべきか?
 どうみても、これはオカシイ。
 前にも述べたことですが、「世論」というのは、いつもいつも正しいわけじゃない。とくにジャーナリストたる者は、権力に対すると同様、「世間様」の言い分に対しても、眉によーく唾して熟慮した方がいい。
 1931年の満州事変に至る世論と新聞との怪しげな関係は、そのことの危うさを教えてくれました。

 真実の対立図式
 『週刊金曜日』11月12日号は「佐藤優責任編集」とあり、「沖縄と差別」を特集していました。
 この元主任分析官氏の分析視角はいつも新鮮で、「ウーム、なるほど」と唸らせられることしばしばです。沖縄県知事選の火蓋が切られたばかりに発行されたこの号では、2人の候補者のスタンス(主張のベクトル)についてきわめてユニークな論じ方をしていました。すなわち、仲井眞氏は「沖縄独立」を指向し、伊波氏は「日本ナショナリズムの強化」を指向している、と。この論には虚を突かれた思いがしました。
 どういうことかというと、米海兵隊普天間飛行場の「本土移設」を求める仲井眞氏の主張から出てくる二項対立図式は、「沖縄」対「本土」であり、「国外(グァム)移転」を求める伊波氏のそれは、「日本」対「米国」だ、というわけ。そのうえで、佐藤さんのみる「真実の対立図式」は、「沖縄」対「東京の政治エリート」だ、というのです。
 その点ではまったく異論はないし、「なるほどなぁ」と思わされるのですが、にもかかわらず、「外交や国防・安全保障問題については、高度の専門知識が必要とされる」ので、「『本土』の圧倒的大多数の人々」が普天間問題に関して無関心でいることは「決して悪いことではない」、とする佐藤さんの言い分には、留保せざるをえませんでした。

 日米同盟3連発
 沖縄県知事選で、米海兵隊普天間飛行場「県外移設派」の仲井真弘多氏が、「国外移設派」の伊波洋一氏を小差で破り、再選されました。
 もともと「辺野古移設容認派」だった仲井真さんが、県民世論の高まりに押されて、「沖縄差別」「県外移設」を口にしはじめたこと自体を責めることはできないものの、今回知事選の一番の争点になるはずだった「普天間問題」を後景に押しやった感は、やはり否めません。
 一方、知事選に候補を立てることもできなかった政権与党ですが、選挙結果が出るやさっそく、「沖縄振興策」=懐柔策の策定にうごめき出しました。「しかし、それは沖縄県民の堅い意思を見誤った楽観と言わざるを得ない」。この間、世論をミスリードしてきた朝日新聞社説ですら、そう書いています。
 で、その社説なのですが、「沖縄はあまりに長い間、日米同盟に翻弄され、ヤマトから『差別』されてきた」なんて続けるものですから、昨年来、何度も聞かされてきた「日米同盟絶対至上論」を少しは反省したのかと、つい誤読してしまいましたが、そんなことはありませんでした。

 「中国軍の海洋活動の活発化や北朝鮮の韓国領砲撃で、…日米同盟の重要性が改めて強く意識されている」「住民の理解と協力なしに、米軍基地の安定的な運用も日米同盟の強化も立ちゆかない」「一基地の問題が日米同盟全体を揺るがす」

 と、最後は、遁走するイタチのように、「日米同盟3連発」。沖縄を差別し、翻弄してきたのは民主党政権だけじゃない。本土メディアもまた、「日米同盟」を黄門様の印籠のように振りかざしては、差別し、翻弄してきたのではないですか?

 「もう変われんさ」
 仲井真さんが当選していちばん喜んだのは、北沢俊美防衛相だったよう。おそらくは内心、「しめしめ、これで辺野古移設がやりやすくなる」と考えてのことでしょう。一刻も早く「沖縄振興策」の協議に入りたい、と胸をふくらませます。
 で、あまりの嬉しさに、支離滅裂なリップサービス(?)まで飛び出します。知事選で「県外移設」を掲げた仲井真さんについて、「基地問題は全国的に考えるべきだ、と極めてまっとうな主張をしている」と、ヨイショ。
 おまけに、記者団から「鳩山政権で県民の県外移設への期待感が高まってしまったことにどう向き合うか」と問われても、「前政権がどういう期待感を与え、どう挫折したかは関係ない」と涼しい顔。あれれ、このお方、前政権でも防衛相を拝命なさっておられたのじゃないかしら?
 それがとんでもない「沖縄差別」だということを、思慮の浅い防衛相はいずれ知ることになるに違いありません。
 そんなお方に、鈴木耕さんの『沖縄へ』に登場する那覇のそば屋さんの言葉を贈らせていただきましょう。

 「沖縄の人間は、すぐ変わる。ずーっとそう言われてきたさー。でも、今回だけは変わらんと思う。もう変われんさ。ここまで来た、もう引き返せん。みんなそう思ってる。
 ここでまた新しい基地を認めてしまったら、『ほーら、沖縄の人間はやっぱりダメだ。また金に転んだ』と言われるさー。何度も何回もそう言われ続けてきたけど、ここで踏み止まれんようなら、これから先、もう何を言っても本土の人間に信用されん。そのいちばんの境目がいまさー」(p. 132)。
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2010年11月04日

「零細出版人の遠吠え」から(42)=田悟恒雄

電子書籍は出版界の「約束の地」か?

 「電子、電子へと草木もなびく」
 かねてより「絶滅」を危惧されていたわが出版界が、いよいよ危険水域に入りつつあります。「Google 騒動」への拙劣な対処について真摯な反省を欠いたまま、いつの間にか「電子書籍」へと雪崩を打っている。あたかもそれが、出版界の「起死回生」を約束してくれるかのごとく…
 深刻な危機の到来とともに、出版界はいま、「電子出版」花盛り。あちこちで似たようなセミナーが開かれ、書店の棚には「電子出版」関連の本や雑誌がめじろ押し。しかも、たいていが小手先の技術論です。「出版の構造的危機」なんてどこへやら、「電子、電子へと草木もなびく」といった塩梅です。
 あれっ、似たような光景、4半世紀前にも見ましたね? いわゆる「ニューメディア騒ぎ」です。出版界も「狂騒曲の積極的なアクター」となりました。「プリントメディアなんてもう古い。これからはニューメディアだ!」と。結局、いつの間にか騒ぎはうたかたのように消え去り、やがてインターネットに席を譲ることとなります。そして、誰もその失敗の責任をとることなく…
 実は、私めが無謀にも零細出版社を立ち上げたのも、この騒ぎと無関係ではありませんでした。「大手版元のみなさん、どうぞあっち(ニューメディア)の方へ行ってください。あとは私ら小零細版元が出版界を担っていきますので、ご心配なく」なんてうそぶいてね。
 そもそも出版なんて「マスプロ・マスセール」には馴染まない、有象無象が寄り集まって「枯れ木も山のにぎわい」よろしく多様性を競えばいい、それが「出版の原点」じゃないのか、とか夢想して…
 結局、大手版元は「あっち」へ行くことがなかったし、「枯れ木」がにぎわうこともなかったのですが、今度こそ大手版元のみなさんにはそうしていただいて、うまい具合に「出版界の棲み分け」ができたらなぁ、と思うんですがね。
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2010年10月01日

「零細出版人の遠吠え」から(41)=田悟恒雄

国家権力の腐敗と「洟垂れ小僧」のお粗末

 特捜検察は「正義の味方」なんかじゃない!
 「国家権力の腐敗」は、ここまで来てしまったのか、というのが実感です。さきごろ郵便割引制度をめぐる偽証明書発行事件で、厚生労働省元局長・村木厚子さんに一審無罪判決が出たばかりですが、これが特捜検察の「ずさん捜査」どころか、そもそも「でっち上げ事件」であったことが次第に明らかになりつつあります(けさの朝日新聞)。
 村木さんの元部下・上村被告宅から押収したFDに入っていた関係文書の最終更新日時を、検察自作のストーリーに合うように書き換えたというのです。しかも、「遊んでいて、誤って書き換えてしまった」なんて、「洟垂れ小僧の言い訳」みたいなことをしゃあしゃあと言ってのけているのが許せない。
 自分らの出世のために、できるだけ大きな「事件」を創作して、「手柄」を立てる。「捜索」じゃなくて、「創作」ですよ! 罪のない人を陥れるわけですから、泥棒よりよっぽどタチが悪い。「秋霜烈日」の権威もすっかり地に堕ちたものです。
 元はといえばリベルタ子も、「検察、とりわけ特捜は正義の味方」と信じてやまなかったことを、白状しておきます。そんな「信心」が最初に崩れたのは、1971年に発覚した「沖縄密約事件」でした。
 「国家機密の漏洩行為」が問われた審理では、特捜検事が起訴状に挿入したフレーズ「情を通じて…」ばかりが独り歩きし、肝心の「密約の真相究明」はどこかに吹っ飛んでしまいました。おまけに、この一文を入れた元検事(のちの民主党参院議員)が、そのことを自慢気に吹聴するのを読んで、開いた口がふさがりませんでした。
 そして、1986年発覚の「現職警察官電話盗聴事件」です。検察は最終的に犯人の警察官を起訴猶予にしたのですが、その理由がふるっています。
 曰く、「実行行為者は組織の末端で上部の指揮命令に従わざるをえない立場に置かれていて、その責任は比較的小さい」。また曰く、「個人的利得をはかった犯行ではない」。またまた飽きずに曰く、「末端の行為者が黙秘しており、指揮系統など組織的犯行の深奥のところがわからない。末端の行為者のみ罰するのは公平を失する」と。
 どう考えても検察は、信ずるに足る機関ではありません。
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posted by ろばの耳 at 09:28 | TrackBack(0) | 「零細出版人の遠吠え」から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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